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2011年12月9日金曜日

【遊技通信12月号より】主幹コラム/鳥瞰虫瞰:「安・近・短」だからこそあった、社会におけるパチンコの存在理由(文・伊藤實啓)

【遊技通信12月号より】主幹コラム/鳥瞰虫瞰:「安・近・短」だからこそあった、社会におけるパチンコの存在理由(文・伊藤實啓)(更新日:2011/12/9)

弊誌はこのたび創刊六十周年を迎えることとなり、バックナンバーから業界を振り返る記念号を制作しました。すでに皆さまのお手元に届いているかと思いますが、ご高覧いただければ幸いです。また、弊誌ご愛読の皆様はもちろん、取材協力や広告をいただいた企業・団体様には心より感謝申し上げます。

還暦を迎え、また新たなスタートを切ることとなるわけで、業界のさらなる発展の一助となるべく、心新たに業務に取り組む所存です。従前と変わらぬご指導ご鞭撻を、今後ともよろしくお願いいたします。






その記念誌の制作のため、古いバックナンバーをめくっていて強く感じたことがある。かつてのパチンコ店は多くの人にとって、本当に身近で手軽な存在だったということだ。



パチンコ店は地域社会の娯楽の中心として位置付けられており、仕事帰りやその合間、休日のひとときに、本当に安い金額でかつ近場で、さらには短時間で遊べる娯楽だった。「安・金・短」という言葉が出る前から、そうしたレジャーの代表格といってもよく、だからこそ大衆娯楽の雄と評された。



ところが、ある時期を境に、お金と時間の両方ともが必要とされる娯楽へと変質した。高い金額と長い時間を必要とするからこそ、台選びや店選びが重要視され、遠い場所まで出かけることも必要となる。つまり、大衆娯楽の大切な要素であるはずの「安・金・短」のいずれもを、業界自らが失っていったと言ってもいい。よくいわれる「身近で手軽な」という表現のうち、今のパチンコは「身近さはあるが手軽さはない」という業界関係者がいるが、身近さを物理的かつ気持ち的な距離と考えた場合、商店街の小さなホールが消えていくこの十数年の展開からは、その身近さをも日々、失いつつある。



かつてのパチンコと今のパチンコと比べると、市場規模は拡大させたが参加人口は減少させたのは周知の通りで、ヘビー化した少数のファンが市場規模を支える構造になってしまった。これでパチンコを大衆娯楽と呼べるのかどうか。「あった方がいい」娯楽施設から、「あってもなくてもいい」存在になり、ひいてはファン以外の地域社会にとってパチンコは「ない方がいい」存在に近づいている印象が拭えない。これは、今の窮屈な社会の象徴でもあるのだが、だからといって業界の厳しい現状を社会のせいにはできないのは言うまでもないことだ。



趣味や娯楽の多様化をファン減少の原因として捉える向きもあるが、それは学者やシンクタンクの考えることであって、当事者である業界人がいうのは適当な判断ではないと思う。ましてや今の業種・業態の歪みは、前述したように、パチンコ・パチスロに金銭と時間が必要とされすぎたのが主因だ。



時間が貴重な時代に入り、人々はなにかに漫然と向かうことはせず、細切れになった時間や少ない小遣いをやり繰りしながら生活をしている。こんな社会情勢の中で、今のパチンコにファンが戻ってきてくれるだろうか。パチンコ店が地域社会に、せめて「あってもいい」娯楽として存在する折り合いというか、その具体的方法論を模索する必要があるのではないだろうか。

遊技通信

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